起業者の金に対する感性

こんにちは、茨城で創業融資、事業用資金融資をサポートしている行政書士兵藤貴夫です。

最近

「金とは何なのか」

という本質的な問題に立ち返って、いくつか書籍やネットを漁っているのですが、そこから感じたことに、日頃起業者と関わって感じたことを加えて書いてみます。

自分の認識として「金」(「カネ」であり「キン」ではない)と言うのは、事業にとって経営資源のひとつであり、言ってみれば製品用の材料を仕入れるのと本質的に変わりません。

このあたりの個人の収入と事業用の資金の区別しないまま、同じ「金」というくくりで、いっしょくたにしている起業者が多いようです。

・材料を仕入れたら、その材料を元に製品を作って売ってその代金を取引先に支払う。

・融資を受けたら、それを運用して利益を得て、そこから返却と代金としての利息を支払う。

材料を仕入れて製品を作る、しかし売れない、その結果取引先に代金を支払えないのと、融資を受けたが、その投資がうまくいかない、その結果銀行に元本や利息を返せないと言うことと、本質的には何の変わりもないでしょう。

どちらも最後には、取引停止と差押などの取立があるという点でも同じです。

違うとすれば「金」には汎用性があり、いざ予定していた事業投資が中止になれば、それに利息をくわえてそのまま銀行に引き取ってもらえるということくらいでしょうか。

もっとも、製品のための材料だって、値段はともかく使わなかった場合引き取ってもらえることもあるでしょうし、そういう点でも違いはないかも知れません。

銀行員にとって、どれだけの札束を数えたとしても、それが金であるという意識は薄いと聞いたことがあります。

業務として銀行から当然のように融資を引き出しているベテランの経営者や財務担当者なども似たような感性は持っているでしょう。

ところが、個人事業主特に起業して間もない経営者はこれがなかなか実感できないようです。

金の本質についてはいろいろな考え方があるでしょうが、ひとつ言えるのは「それが欲望の表象である」と言うこと。

この欲望の表象としての金を意識するあまり、いたずらにそれを怖れて無借金にこだわったりするケースがあるようです。

「金」を使いこなすのは簡単ではない、それをできるかどうかは、ひとつにはどれだけ「事業家」あるいは「投資家」の感性を持てるかに掛かっていると考えています。